メタップス・佐藤さんの「未来に先回りする思考法」を読んだ。
率直なところ、自分が考えていたことがまるっと言語化されたようで驚いている。こんなに同じ考えの人がいるのだなぁ、と。こういう経験は初めてで、一気に読み進めてしまった。
まぁ僭越なのだけど、あまりに似ているもんだからとにかく驚くしかなかった。
未来に先回りする思考法 - 佐藤航陽 (著)

「未来に先回りする思考法」の冒頭では、以下の様な文章が並んでいる。

FacebookとiPhoneの普及を多くの人が予想できなかったように、現在の景色という「点」を見て考える未来予測はだいたいにおいて外れます。
現実は人間が認知できないほどの膨大な要素に溢れ、かつそれらが互いに複雑に影響し合って、社会を進化させているからです。それをすべて把握することは、人間の脳というハードウェアの性能では、まず不可能です。

「現在」と「未来」を比べれば、何かが変化するのは当然なのだけれど、一体なにがどう変化するのか予測するのはとても困難だ。

過去のあなたが現在の自分をまるで想像できなかったように、現在の自分も未来の自分を想像できない。世の中の99.9%の人たちは過去と未来なんて興味がない。ただただ、「現在」に埋没しながら生きている。

自分自身の変化すら予測できないのだから、世界がどう変化していくのか予測するのはもっと難しい。 それでも、「こうあるべきだ」あるいは「こうなっていくだろう」と考え、アクションを起こす連中もいる。

未来に先回りすることができる0.1%の人たちを調べていくと、99.9%の人とはまったく違った思考法を用いて、未来を見通していることがわかりました。両者を分けているのは、パターンを認識する能力です。
把握しきれないほどたくさんの変数が複雑に絡み合う事象を扱うとき、論理的にそれを推測することには限界がある。
こういう複雑系に近い事象を扱う場合はパターンでものごとをパッケージ化し捉える必要がある。

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いかに未来を捉えるか?

本の引用はここまでにして、ちょっと僕自身の話を。

昔、このブログには「未来を探求するブログ」とタイトルをつけた。コンセプトは「いかに未来を捉えるか」だった。
 
未来は現在と違う世界が広がっている。未来の自分からするとそれは必然的にそこに存在しているし、現在の自分に対して「どうして想像できないの?」とすら問うてくるかもしれない。そのギャップは一体何なのだろう、と昔から興味があった。恐らく筆者の佐藤さん同様、「未来を構成するものは何なのか」に対する強い興味があるのだと思う。

そういえば、本に登場する「iPhoneは流行しないと言われていた」件もちょうどブログで扱ったことがある。
たった6年前まで「日本でiPhoneは流行らない」と言われていた事実から学ぶこと 未来予測の難しさ、想像力の限界

僕の場合はモノづくりが仕事だから、未来との対話は日常茶飯事だ。現在と未来とをいかに反復運動できるのかについていつも考えている。
そのプロセスをなるべくブログにして書き起こすことに意味がありそうだ、と思ったのがブログをはじめたきっかけだった。

この本は、その目的を達成しうる手段としては、ちょうど上位互換にあたるものだ。
僕よりもよっぽど賢い人が、それを言語化し体系化したものがこの書籍だ。この本はまさに未来を考えるセンスを体系的に学べる教科書だと言って差し支えないだろう。

それにしても、豊富な経験と卓越した知見によってこうも分かりやすく言語化されていることに感銘を受けるしかない。僕のなかでぼんやりと感覚レベルでしか解釈できていなかったことがクリアになった印象だ。僕もまたこの「教科書」を何度か読み直してみたい。

IT系の方やこれからの社会を担う若い人たちにこそ読んで欲しい一冊だと思う。